(平成30年12月)
岐阜県・県北西部地域医療センター国保和良診療所長
廣瀬 英生 先生
やぶ医者大賞を受賞して
「やぶ医者大賞受賞致しました!」とまわりのスタッフに言うと「えっ!?」 と百パーセントは祝福していない感じで驚かれます。一般の方(例えば友人、親戚など)に関しては、尚更であります。
この賞は兵庫県養父市(やぶし)が主催、日本医師会にも御後援頂いております。ホームページを参照しますと“「養父の名医の弟子と言えば、病人もその家人も大いに信頼し、薬の力も効果が大きかった。」と「風俗文選」にもあるように、「養父医者」は名医のブランドでした。しかしこのブランドを悪用する者が現れました。大した腕もないのに、「自分は養父医者の弟子だ」と口先だけの医者が続出し、「養父医者」の名声は地に落ち、いつしか「薮」の字があてられ、ヘタな医者を意味するようになったのではないでしょうか。
「薮医者」の語源については、様々な説がありますが、文献に基づいた「薮医者とは、もともと名医を現す言葉であり、その語源は養父の名医である」というこの説が本当ではないでしょうか”ということでポジティブにとらえてよいと考えます。過去にも澤田弘一先生(鏡野町国民健康保険上斎原歯科診療所)、東條環樹先生(雄鹿原診療所長)など地域医療の分野で活躍してきたそうそうたる先生方が受賞をしております。
私は、自治医科大学を平成13年に卒業し、公立診療所を中心にさまざまな地域働いてきました。平成19年からは、国保和良病院(現国保和良診療所)に赴任しそこに和良診療所に義務年限2年を含めた約11年間従事し、通常の診療業務に加え、ヘルスプロモーション、地域での医学教育、地域での研究活動、多職種連携などを行ってきました。
郡上市和良町といえば人口1,700の地域で、名物は聞き鮎大会全国1位に3回輝いた「和良鮎」と蛍であります。また、地域ぐるみの健康づくりで有名です。1950年に中野重男先生が赴任して、湯下堅也先生、母校の先輩である後藤忠雄先生、南温先生が在籍されていたところです。一時期は健診受診率が9割を超えていたすごい!時代もあったようです。また、2000年には男性日本一にも輝いたという歴史もあります。病院(もしくは診療所)に来ない人も健康管理ができるヘルスプロモーションが地域医療の魅力の一つです。2002年より独自の健康福祉総合計画「まめなかな和良21プラン」策定して、2008年には中間調査、2013年には10年目の調査、今年15年目をむかえ、2回目の中間調査を再び行っています。私もこの計画に2008年から携わらせてもらっています。この計画策定後、男性における喫煙は、すべての世代において改善傾向。高齢者の方の地域での社会活動の参加(公民館の参加)割合も増加し、計画をもとにした健康づくりが寄与していると考えられます。
岐阜県内で地域をベースに「地域医療従事者の研究活動を活発化させ、地域医療の質の向上と発展に寄与すること」「卒業生間の情報交換と親睦」を目的に岐阜プライマリケア・地域医療研究ネットワーク(GP-COMERnetwork)の運営に関わっております。現在までに「臨床研修に関するminimal requirement」、「プライマリケア医に紹介された心筋梗塞患者に対する紹介内容の検討」、「プライマリケア施設における下部尿路症状の調査」、「子宮頚癌ワクチンに対する意識調査」という研究を遂行しました。私自身の博士論文は、当和良地域のデータをもとにして作成したものであり(日本の健康成人における心室性期外収縮と循環器疾患との関連について-JMSコホート研究より)、健康づくりでだけでなく疫学研究分野でも地域医療に貢献したいと思います。
「県北西部地域医療センター」の立ち上げに現センター長兼白鳥病院長でもある後藤先生とともに参画し、地域医療、総合診療に取り組む医師の支援が可能なシステム、中長期的に持続可能な、継続性のある地域医療体制の構築を図っております。
以上のことを若干評価されこの賞を頂いたと思われます。これを励みに今後とも地域医療にまい進していきたいと思います。
最後に本年7月8日未明この度の豪雨で和良介護老人保健施設、国保和良診療所の基礎部分が破壊され使用不可能となりました。当日はスタッフ総出の懸命な避難作業でなんとか乗り切りました。老健には、28名が入所しておりましたが、周辺医療機関の心温まる対応でなんとか受け入れをしていただくことができました。また、多くの関係者の方、同僚から励ましのメールを頂きました。復旧にはまだ時間がかかりますが、可及的速やかに復興ができるように努力していく所存です。